職員の独り言

最近の出来事と現実に思う

今年3月23日、大阪地裁で11歳の聴覚障害の女児が重機による事故で死亡し、彼女の逸失利益、

つまり損害賠償の判決が出されました。

被告側は全労働者の平均賃金の60%を主張し、女児のご両親は100%を主張しました。

判決では85%が示され被告に支払いを命じました。ご両親は不服として高等裁判所に抗告されました。

私は、ご両親の抗告を心から支持、応援するものです。

命の重さに変わりない

判決では

①聴覚障害者が働く環境や収入面の改善がみられる

②女児は学校では平均的な成績で将来さまざまな就労の可能性がある

③しかし、聴覚障害の特性からコミュニケーションが制約する可能性が考えられることによって、健常者と同水準の逸失利益までは認められない

優性思想、労働生産性で測られることのない時代を・・・
理念では人間のもつ尊厳は障害者も健常者も同じとされつつ、判決は

  • 「労働生産性」という人間のある一面のみの焦点をあて
  • それを個人としてではなく障害者全般に十ば一からげに、「障害者は労働生産性が低い」と断じています。
  • 「障害者は健常者より劣っている」「役に立つ人間と役に立たない人間」の存在=優性思想を司法の立場で認めたことになります。

これでは、障害者はもちろん、お金をたくさん稼ぐ人ほど人間の価値が高いということになります。

振り返れば私たちの職場でも・・・・

しかし振り返って私たちの職場の所員さんに対して「最低賃金除外申請」をおこない、個々の作業能力を測り最低賃金(奈良県1時間896円)から減額している現実があります。

一面的な「作業能力」で最低賃金以下に抑え、個々の所員に差をつけることについて運営面の現実と理念の葛藤をいつも感じています。解決の手立てはなかなか見つかりませんがこの現実から逃げずに考えていかねばならないと強く思っています。

21世紀後半には・・・
障害者の働く環境は科学技術の発展で21世紀半ばには障害を補う機器の発明で社会生活を営む上での障害の多くが解消されるであろうといわれています。

少なくとも障害者を含むすべての人の命の価値が「労働生産性」「役に立つか立たないか」で測られる時代が一日も早く過去の遺物となることを強く望みます。  

                                          勝本 彰